はじめに

SNSや掲示板などオンライン上の匿名性の高いコミュニティでは、誹謗中傷やデマが簡単に広まり、個人や企業の名誉が傷付けられる事件が後を絶ちません。IPAの個人向け脅威解説では、ネット上の誹謗中傷・デマ拡散が生活に重大な影響を与えるリスクとして取り上げられており、法制度の整備が進む一方で、利用者一人ひとりのリテラシー向上が不可欠であると指摘しています。本記事では、オンラインの誹謗中傷とデマ拡散の現状、事例、対策を解説します。

誹謗中傷・デマが起こる背景

インターネットでは匿名で情報を発信できるため、他者を貶める投稿や根拠のない噂話が拡散しやすい環境にあります。SNSでは「いいね」やシェアによって不確かな情報が瞬時に広まり、本人の知らないところで中傷が拡散されることも少なくありません。さらに、アルゴリズムによるレコメンド機能が同質の意見を集めやすくし、デマを信じるコミュニティが形成されやすい構造も問題です。

具体的な事例

芸能人や一般人への誹謗中傷

2024年には、ある人気お笑い芸人がSNS上に差別的な投稿を行ったとして所属事務所から活動停止処分を受ける事件がありました。該当の投稿は瞬く間に拡散され、事実確認が不十分なまま関連情報が拡散されて一部のファンへの攻撃にまで波及しました。また、一般の医師が病院スタッフに対する不適切な投稿を行って懲戒解雇となった例も報じられています。これらの事例では、本人の不用意な発言が元で炎上し、ネット上での匿名攻撃が現実世界の地位や職を失う結果につながりました。

デマ情報の拡散

災害や事件が発生した際、出所不明の写真や偽の被害情報がSNSで拡散され、混乱を招くケースも多々あります。2023年の台風被害では、実際とは異なる場所の写真が「被災地の様子」として拡散され、多くの人がデマに惑わされました。デマ情報は政治的プロパガンダや企業の評判操作にも利用され、社会の信頼を損ないます。

法制度とプラットフォームの対応

政府は、プラットフォーム事業者に誹謗中傷への対応を義務付けるため、2022年に「情報流通プラットフォーム事業者法」を制定しました。同法により、大規模SNS運営事業者は、誹謗中傷や違法コンテンツの削除申請に迅速に対応する義務が課せられています。投稿者の情報開示請求手続きも整備され、被害者が法的措置を取りやすくなりました。一方で、プラットフォーム側が過剰に投稿を削除すると表現の自由を侵害する懸念があり、バランスが課題となっています。

SNS事業者の取り組み

主要なSNS運営会社は、AIによる投稿監視やコミュニティガイドラインの改定を通じて誹謗中傷対策を強化しています。違反投稿の迅速な削除や利用停止処分のほか、被害者からの通報窓口を設け、削除依頼が受理されやすいようフォームの簡素化を進めています。また、フェイクニュース対策としてファクトチェック機関と連携し、不正確な投稿には警告を表示する取り組みも行われています。こうした対策は一定の抑止力となりますが、利用者自身が情報発信者として責任ある行動を取ることが前提となります。

利用者ができる対策

情報の真偽を確認し拡散しない

デマを拡散しない最大の対策は、情報の真偽を確認することです。信頼できる公的機関や報道機関の情報と照らし合わせ、不確かな情報はシェアしないようにしましょう。特に災害時や事件発生時は、SNSよりも自治体や政府の公式発表を参照することが重要です。

批判と誹謗中傷の違いを理解する

正当な批判と、名誉を損なう誹謗中傷は区別する必要があります。感情的な発言や人格攻撃はすぐに削除されずに残り続け、加害者が罪を問われることもあります。投稿前に、内容が人権を侵害していないか、根拠のある意見かどうかを確認する習慣をつけましょう。

匿名性と法的責任

インターネット上の匿名性は万能ではなく、違法な投稿や名誉毀損には法的責任が生じます。投稿が原因で民事訴訟や刑事告訴を受けた例も数多くあります。身元が特定されないと思い込み不用意に投稿することは危険であり、表現の自由には責任が伴うことを自覚することが大切です。

被害に遭った場合の対応

誹謗中傷の被害に遭った場合は、投稿内容やスクリーンショットを保存して証拠を確保し、プラットフォーム運営者に削除依頼を出します。早期に弁護士や自治体の相談窓口に相談することで、開示請求や損害賠償請求などの法的手続きを検討できます。また、匿名で中傷する相手に直接反応することは避け、専門機関に対応を任せることが精神的負担の軽減にもつながります。

情報リテラシー教育の重要性

ネット上で健全な議論を行うためには、情報リテラシー教育が不可欠です。学校や企業では、誹謗中傷やデマがどのように拡散されるのか、どのような法的責任が生じるのかを学ぶプログラムを導入する動きが広がっています。具体的には、SNSでの適切な言葉遣いや、他者への配慮を盛り込んだ研修、フェイクニュースを見抜くリテラシー講座などが挙げられます。利用者一人ひとりの意識向上が、誹謗中傷やデマの抑止に直結すると考えられています。

誹謗中傷が与える心理的影響と社会的課題

誹謗中傷にさらされた被害者は、名誉を傷付けられるだけでなく、精神的なダメージや社会的孤立に苦しむことがあります。SNSで中傷を受けた若者がうつ状態に陥り自殺に追い込まれた事件も報告されており、オンラインでの暴力が現実世界に深刻な影響を及ぼすことが分かります。中傷が長期化するほど被害者は周囲の信頼を失い、職場や学校に行けなくなるなど生活基盤が揺らぐこともあります。また、誹謗中傷の加害者側も匿名性により責任感が薄れやすく、攻撃性が増す「オンライン脱個人化効果」が指摘されています。人間関係の距離感が希薄なオンライン空間では、悪質な書き込みへの心理的ハードルが下がりやすいという構造的な課題が存在します。

誹謗中傷の影響は個人にとどまらず、企業や自治体など組織への攻撃に発展することもあります。企業の不祥事を巡るデマが拡散して株価が急落したり、自治体の施策への誤解が広がり担当部署に脅迫電話が殺到した事案もあります。こうした被害は危機対応コストの増大だけでなく、従業員の士気やブランドイメージにも大きな打撃となるため、組織としての対応が求められます。

アルゴリズムとエコーチャンバー効果

SNSで誹謗中傷やデマが広がりやすい背景には、プラットフォームが用いるアルゴリズムの影響も指摘されています。多くのSNSはユーザーが好む内容を優先的に表示する設計になっており、同じ意見を持つ人々が集まる「エコーチャンバー」を形成しやすくしています。この環境では偏った情報が強化され、過激な意見が多数派であるかのように認識される危険があります。アルゴリズムがセンセーショナルな投稿を好んで拡散する傾向は、攻撃的なコンテンツの可視性を高め、結果として誹謗中傷が広がる一因となります。

プラットフォーム運営側はアルゴリズムの透明性を高め、危険なコンテンツを意図的に抑制する対策が必要です。利用者側も、SNSの「おすすめ」機能が必ずしも客観的ではないことを理解し、多様な情報源にアクセスする意識が求められます。アルゴリズムの仕組みを理解し、信頼性の高い情報源に立ち返る姿勢が、誹謗中傷やデマに惑わされないための第一歩となります。

企業や教育機関の取り組み

誹謗中傷問題は企業や教育機関にとっても無視できないリスクです。企業では、従業員が社内外で発言する際のソーシャルメディアポリシーを定め、会社の名誉を損なう投稿や個人情報の漏えいを防止しています。また、社内に相談窓口を設けて、外部からの誹謗中傷への対応や従業員が被害者になった場合の支援体制を整備する企業も増えています。採用活動では候補者のSNS利用状況をチェックする企業もあり、不適切な発言が内定取り消しにつながるケースも報じられています。

教育機関では、情報モラル教育の一環としてSNSの利用方法や誹謗中傷の法的責任を教える授業が導入されています。特に小・中学校では、子どもたちがインターネットいじめや誹謗中傷に巻き込まれないための予防教育が行われています。学内でのトラブルがオンラインに波及しないよう、教師が日ごろから児童生徒のSNS利用に関心を持ち、必要に応じて保護者と連携して問題を早期に発見・対処することが重要です。大学や専門学校でも、情報倫理の授業に加え、プロジェクト課題を通じて情報発信の責任やプライバシー保護について考える機会が提供されています。

生成AIとディープフェイクによる新たな脅威

近年、生成AIやディープフェイク技術の発展により、偽の画像・音声・動画を簡単に作成できるようになりました。生成AIを悪用して特定人物の顔を合成した虚偽の画像を拡散したり、ディープフェイク音声で本人になりすまして誹謗中傷を行うケースが世界的に問題となっています。IPAの「テキスト生成AIの導入・運用ガイドライン」では、生成AIには誤情報の出力や機密情報漏えい、著作権侵害のリスクがあると指摘されており、利用者とサービス提供者がガイドラインや運用規約を整備する必要があるとされています

国内でも、芸能人や政治家の顔を使った偽のスキャンダル動画がSNSで拡散され、本人や所属事務所が否定声明を発表する事態が発生しています。特に音声のディープフェイクは本人の声に極めて近い合成音声で電話などを使って偽の発言を広められるため、身に覚えのない誹謗中傷が拡散される危険性が高まっています。生成AIを使ったフェイクコンテンツは見破りが難しく、一般ユーザーが誤って拡散してしまうリスクがあるため、プラットフォームや報道機関のファクトチェック体制の強化が急務です。

国際的な動向と規制の流れ

日本のみならず、世界中でオンラインの誹謗中傷やデマ拡散が問題視されています。欧州連合(EU)では2024年に施行された「デジタルサービス法(DSA)」により、大手プラットフォーム事業者に対して違法コンテンツの削除義務や透明性報告書の提出が義務付けられました。米国でも有害なコンテンツに対するプラットフォームの責任を定める法案が議論されています。こうした国際的な規制強化の流れは、日本国内での法制度やプラットフォーム企業の取り組みに影響を与えると考えられます。

また、国際的な啓発活動として「Safer Internet Day」などのイベントが各国で開催され、オンライン上の誹謗中傷やいじめに対する意識を高める取り組みが行われています。国境を越えて誹謗中傷が拡散される現代においては、各国が連携し、国際的な基準やベストプラクティスを共有することが重要です。

おわりに

ネット上の誹謗中傷とデマ拡散は、他者の名誉や社会全体の信頼を損なう深刻な問題です。プラットフォームへの規制が強化され、被害者救済手続きが整備されつつありますが、根本的な解決には利用者一人ひとりの情報リテラシー向上が欠かせません。感情のままに投稿をしない、情報の真偽を確認する、法的責任を意識する――こうした小さな配慮が安全なネット社会を築く基盤となります。