はじめに
組織が直面する情報漏えい事故の多くは、悪意のあるサイバー攻撃だけでなく、不注意や設定ミスなど人的要因によって引き起こされています。IPAの解説書では、人による操作ミスやクラウド設定の不備によるデータ漏えいが組織向け10大脅威の一つとして取り上げられています。情報漏えいが発生すると、機密情報の流出や社会的信用の低下といった深刻な影響が生じるため、単純なミスであっても放置できません。本記事では人的ミスが招く具体的な事故例を取り上げ、その背景要因と再発防止策を解説します。
人的ミスの種類と背景
過剰な情報公開と誤送信
情報漏えい事故の典型例は、誤送信や誤公開によって本来公開すべきではない情報が外部に出てしまうケースです。IPAの資料によれば、情報を送信する際の「宛先指定間違い」や「BCCとCCの取り違え」が重大な漏えいにつながるほか、クラウドストレージの共有設定を誤ったまま公開してしまうケースも頻発しています。また、類似ドメイン名を利用したフィッシングメール(ドッペルゲンガードメイン)に騙され、正規の宛先ではない外部にデータを送ってしまう事故も報告されています。このような人的ミスは、日常業務の忙しさやセキュリティ意識の低さが引き金となりやすいのが特徴です。
クラウド設定ミスとデータ残置
近年はクラウドサービスの利用拡大に伴い、設定ミスによる情報漏えいが目立ちます。例えば権限設定を誤って誰でも閲覧できる状態にしていたり、退職者のアカウントを削除し忘れて外部からアクセスされるなど、人的ミスが引き金となる被害が多いと分析されています。また、機器の廃棄やリース返却時に適切なデータ消去を行わず情報が残ったままになっていたために漏えいした事例もあります。複数のクラウドサービスを併用する環境では設定項目が多岐にわたるため、全てを適切に管理するには高度なリテラシーと仕組み化が欠かせません。
クラウド環境では、ストレージバケットや共有リンクの公開設定がデフォルトで広範になっている場合があります。例えば、海外のオンラインストレージサービスで、開発者が検証用に利用していたバケットをパブリック設定のまま放置し、数万件の顧客情報が閲覧可能になっていたという事案がありました。日本国内でも、Web会議の録画データを共有リンクで配布した際にパスワード設定を忘れ、外部から閲覧されるケースが報告されています。こうした設定ミスは技術的な難しさよりも、確認や手順の不徹底が主な要因となっています。
データ残置についても、PCやスマートフォン、クラウドストレージに個人情報や業務データを残したまま放置する事故が発生しています。リース終了時にSSDを初期化せず返却したため、次の利用者が過去のデータにアクセスできる事例や、退職者のアカウントが削除されないまま残り、悪意ある第三者に乗っ取られたケースなどが挙げられます。資産管理台帳を整備し、廃棄や返却の際には必ずデータ消去証明を取得するなどの運用が必要です。
セキュリティ教育不足と手順不徹底
人的ミスの背景には、従業員のセキュリティ意識や知識不足があります。IPAの解説書では、不注意を誘発する要因として「セキュリティリテラシーの低さ」「作業環境の改善不足」「複雑な手順による確認漏れ」「業務の属人化によるチェック不十分」が挙げられています。部署間で業務手順が共有されておらず、ダブルチェックや承認フローが整備されていない状況では、単純ミスを防ぎにくくなります。また、テレワークの増加に伴い個人が自宅で機密データを扱うケースも増え、物理的な管理や周囲の目による抑止が働きにくい状況もリスク要因です。
具体的な事故事例
記録媒体の処分不備(バンダイナムコHDグループ)
2023年、玩具メーカーの関連会社がハードディスクの処分を外部業者に委託した際、データ消去が完全に行われておらず、ゲームユーザーに関する個人情報を含む残存データが第三者に流出する事故が発生しました。適切な廃棄プロセスを確認しなかった結果、保管メディアに情報が残ったまま外部に出てしまったのです。これは記憶媒体の消去・破砕を怠った人的ミスが原因であり、情報資産管理の重要性を示しています。
内部システムの誤送信(帝国データバンク)
信用調査会社の帝国データバンクでは、社内が利用するファイル転送ソフトのテスト版を誤って顧客に送信してしまい、ソフトウェアの脆弱性に関する情報が外部に漏えいしました。本来ならば新機能の検証用であり外部公開しないはずのツールを、担当者が誤ってメールに添付したことが原因です。このケースでは事前の承認プロセスがなく、チェック体制の欠如がミスを生んだと考えられます。
学校現場での設定ミス
学校現場でもクラウドの設定ミスが問題となっています。ある教育委員会では、オンライン授業で使うビデオ会議ツールの共有リンクを誤って一般公開設定にしたため、外部から不正アクセスされ個人情報が閲覧される事件が発生しました。また、別の学校ではクラウドストレージに保存した学生の個人情報を誤って公開フォルダーに配置し、関係者以外からもアクセス可能になってしまった事例も報告されています。教育現場ではITに不慣れな教職員が多く、十分な研修が行われていないことが背景にあります。
対策と再発防止策
情報資産の分類と保護レベル設定
まず、扱う情報資産を分類し、それぞれに適切な保護レベルを設定することが重要です。機密情報や個人情報を扱う際には必ず暗号化やアクセス制限を施し、送付先や公開範囲を確認する仕組みを整えます。データ移動や公開時にはワークフローで承認を求め、誤送信防止機能を備えたメールシステムやデータ損失防止(DLP)ツールを導入することが有効です。クラウドサービスにおいても権限設定を細分化し、不要な共有リンクを無効化する運用が求められます。
自動化とツール利用による人為的ミスの低減
人間の確認作業に頼るだけではミスを完全に防止できません。IPAは、重要データの削除や送信といったリスクの高い操作では、システム側で自動的に二重確認や承認を求める仕組みを導入することを推奨しています。例えば、クラウドストレージの公開設定を変更する際に警告を表示する、廃棄媒体の追跡管理システムを導入するなど、仕組みでミスを検知・防止することが有効です。また、データの暗号化やマスキング処理を自動化することで、万が一情報が流出しても閲覧不可とする対策も検討するべきでしょう。
さらに、データ整理やバックアップの自動化も有効です。ファイルサーバ上の古いデータや不要な共有フォルダを定期的にリストアップし、所有者に確認を促すツールを活用することで、不要データの放置や誤った共有を防げます。ログ監視ツールを導入して、機密情報へのアクセス状況や権限変更が異常なパターンを示した際にはアラートを出すなど、常時監視・自動通知の仕組みを整えることも重要です。
自動化にはコストと導入工数がかかりますが、人件費や事故対応費用を考慮すると中長期的な投資効果は高いと評価されています。特に情報漏えいが生じた場合、個人情報保護法に基づく報告義務や社会的な信用失墜に対応するコストは膨大であるため、予防策としての自動化は不可欠です。
セキュリティ教育と意識向上
最後に、従業員に対する継続的なセキュリティ教育が不可欠です。IPAの解説では、定期的な研修やeラーニングを通じて最新の脅威や事故事例を共有し、情報取り扱いに関する意識を高めることが効果的だと述べています。特にクラウドサービスやリモートワーク環境では、設定変更一つが大きなリスクを生むため、手順書やチェックリストを整備し、部署ごとに責任者を設けることが重要です。ダブルチェックや承認プロセスを習慣化し、作業を属人化させない文化を育むことで、人的ミスによる事故を減らせます。
加えて、テレワーク環境における人的ミスのリスクについても啓発が必要です。自宅や外出先では仕事とプライベートの境界があいまいになり、誤って私用メールで機密情報を送信してしまったり、家族に画面を覗かれたりするリスクが高まります。リモートワーク用の専用端末やVPNの利用を徹底するほか、仕事用のアカウントをプライベートアカウントと分離するなど、環境面での工夫が求められます。
情報セキュリティ教育は座学だけでなく、実際に誤送信を模した模擬訓練やクラウド設定のワークショップを通じて体験的に学ぶことが効果的です。新入社員研修に組み込むだけでなく、役職や担当業務ごとに応じたカリキュラムを用意し、定期的にアップデートすることで継続的なスキル向上を図りましょう。
ガバナンスと監査の整備
組織全体のセキュリティを底上げするには、ガバナンス体制と監査プロセスが重要です。情報セキュリティポリシーやクラウド利用規程を定めるだけでなく、実際に遵守されているかを定期的に監査し、改善点を洗い出します。特に複数のクラウドサービスやSaaSを利用している場合、各サービスの権限設定やログ管理が適切かを点検し、不要なアカウントや共有リンクを削除する棚卸しを行うことが必要です。
監査とガバナンスには経営層の関与が欠かせません。重大な情報漏えいが発生した場合、取締役には善管注意義務や説明責任が生じる可能性があるため、トップダウンでセキュリティ投資と改善策を推進することが求められます。個人情報保護法では、個人データが漏えいした際の報告と本人通知が義務化されており、適切な記録と報告体制を整えておかなければなりません。監査部門や第三者機関の活用も検討し、客観的な視点から運用状況を評価することが有効です。
おわりに
不注意や設定ミスによる情報漏えいは、サイバー攻撃と同様に組織に大きな損害をもたらします。複数の事故事例が示すように、単純な送信ミスやクラウド設定の誤りが大量の個人情報流出につながる恐れがあり、今後も注意が必要です。情報資産の管理ルールを整備し、自動化ツールや二重チェックの仕組みを活用することで人的ミスを最小限に抑えられます。また、従業員の意識向上や教育を継続的に行うことで、組織全体のセキュリティレベルを底上げし、安心してクラウドサービスを活用できる環境を構築しましょう。