はじめに

サイバー攻撃は国家間の対立や国際情勢とも密接に関係しています。2025年版IPA「情報セキュリティ10大脅威」では、新たに「地政学リスク起因のサイバー攻撃」が組織向け脅威として選定されました。国際的な対立を背景とした国家による攻撃は、政府機関や重要インフラだけでなく、民間企業のサプライチェーンにも波及します。本記事では、地政学的リスクがサプライチェーン攻撃にどのような影響を与えているのかを解説し、対策を考察します。

地政学的リスクとサイバー攻撃の特徴

IPAの解説書によると、地政学リスク起因の攻撃は、標的国や企業の機密情報を盗み出すサイバー諜報や、混乱を引き起こすDDoS攻撃、誤情報拡散など多様な手段を含みます。攻撃の目的は政治的圧力や情報収集、経済的損害の与大などであり、支援を受けた攻撃者が高度な技術や人的資源を投入するため被害が長期化しやすい点が特徴です。

代表的な事例として、2024年10月に親ロシア派による大規模なDDoS攻撃が日本の政府機関サイトや企業サイトに行われたケース、2024年6月に米国で発覚したVolt Typhoonによる「Living off the Land」手法を用いた長期潜伏型攻撃、2025年1月にミラーフェイス(MirrorFace)による日本企業への攻撃が報告されています。これらの攻撃は、政治的な緊張が高まる時期に急増し、標的国の社会基盤に不安を与えることが狙いとされています。

サプライチェーン攻撃との連動

地政学リスクとサプライチェーン攻撃は互いに関連し、国家支援を受けた攻撃者は間接的に標的に侵入する手段としてサプライチェーンを悪用します。サプライチェーン攻撃とは、取引先や委託先、開発プロセスなど、直接の標的ではない部分に侵入し、そこから本丸へ攻撃を拡大する手法です。サプライチェーンの末端まで海外企業や開発者が関与している現代では、国境を越えて攻撃が伝播しやすく、地政学的リスクが増大します。

ソフトウェアサプライチェーンへの影響

2024年には、オープンソースの圧縮ツール「XZ Utils」に悪意あるコードが挿入され、多数のLinuxディストリビューションに広まる寸前で発覚しました。攻撃者の背後に国家がいたかは不明ですが、世界中のシステムが影響を受ける可能性がありました。こうしたソフトウェアサプライチェーンの脆弱性は、地政学的対立が深まると狙われやすくなります。特定国の開発者が関与しているプロジェクトが標的となれば、脅威は広範囲に広がります。

企業間サプライチェーンへの影響

ビジネスの委託関係も地政学リスクの標的となり得ます。攻撃者は防御の弱い下請けや取引先に侵入し、そこから主要企業へと拡大します。2024年には、企業間の委託先がランサムウェアに感染しサービスが停止した事例や、紙製品メーカーI社のファイルサーバーが攻撃され大量の個人情報が流出した事件が報告されています。国家支援型の攻撃者が国内外の下請けを狙うことで、重要な企業情報が窃取されて海外に渡る恐れがあります。

国際情勢がサプライチェーン攻撃を促進する要因

地政学的緊張が高まると、制裁や貿易摩擦によって国ごとの情報流通が制限され、サプライチェーンの混乱が生じます。攻撃者はこうした混乱に乗じて攻撃を行います。例えば、輸出規制や技術制限によって特定国の企業が代替サプライヤーを急いで探す際、セキュリティ評価が不十分なサプライヤーと契約し、攻撃者の侵入経路となることがあります。また、政情不安な地域に拠点を持つサプライヤーが国家からの圧力を受け、情報窃取に協力させられる可能性もあります。

さらに、国家による攻撃は社会的混乱を狙って情報操作やフェイクニュースを拡散するケースもあり、取引先や顧客との信頼関係を揺るがします。ブランド毀損や株価下落はサプライチェーン全体に影響し、供給の安定性を損ないます。

国際的なサプライチェーン攻撃事例

XZ Utilsバックドア事件

前述のXZ Utils事件では、Linuxの基本機能を担うライブラリに悪意あるコードが挿入され、検出されるまでの数か月間、世界中の開発者が危険にさらされました。この事件はオープンソースの透明性を逆手に取った攻撃であり、多くの組織が使用する共通コンポーネントが狙われるリスクを示しています。

Pro-Russia DDoS攻撃

2024年10月には、親ロシア派ハクティビスト集団による大規模なDDoS攻撃が日本の官公庁サイトや大企業に対して行われました。攻撃は複数の国際的なボットネットを用いて行われ、交通や金融のウェブサイトが一時的に利用できなくなりました。政治的なメッセージを掲げた攻撃は国内外のサプライチェーンに混乱をもたらし、ビジネスメールや決済システムに遅延が発生しました。

国家支援型マルウェア・キャンペーン

ミラーフェイスやVolt Typhoonなど、国家支援型と疑われる攻撃グループは、標的国の官民両方に対し長期的な潜伏攻撃を仕掛けます。攻撃手法は標的型メールやVPN脆弱性の悪用などで、供給企業から情報を奪い取ることが目的とされます。これらは企業のサプライチェーン管理体制の弱点を突き、本体企業に気づかれないように情報を持ち出します。

地政学リスクへの対策

地政学的なサイバー攻撃に対処するには、単に自社を守るだけでなく、サプライチェーン全体での防御体制を構築する必要があります。主な対策は以下の通りです。

  1. 国際的な脅威情報共有
    • 国家レベルでのサイバー攻撃に関する情報や手口を迅速に共有することで、早期に防御策を講じます。情報共有には政府機関や業界団体、CSIRT間連携が欠かせません
  2. 委託先のセキュリティ評価と契約管理
    • サプライチェーン攻撃では、委託先が狙われます。契約時に情報管理規定を明確にし、定期的にセキュリティ評価を行います。海外拠点を持つ企業については、所在地の法規制や政治リスクも考慮します。
  3. SBOM(ソフトウェア部品表)の活用
    • ソフトウェアサプライチェーンにおいては、導入している製品やコンポーネントの構成を明確にするSBOMを活用し、不審な変更を検知します。脆弱性が確認された際には迅速に更新や代替ソフトへの切り替えを行います。
  4. ネットワーク分離と多層防御
    • 国家支援型攻撃者は長期潜伏を狙うため、業務ネットワークと開発ネットワークを分離し、重要情報へのアクセスを制限します。多要素認証やゼロトラストアーキテクチャの採用で不正アクセスを防止します
  5. インシデント対応とバックアップ
    • 重大なインシデントが発生した場合に備え、CSIRTによる迅速な対応体制を構築し、被害を限定的に抑えるためのバックアップと復旧計画を整えます

経済制裁とサプライチェーンの再構築

地政学的な緊張が高まると、経済制裁や輸出規制が発動されます。特定の国や企業と取引できなくなると、企業は代替サプライヤーや物流ルートを急いで確保しなければならず、その過程でセキュリティ評価が不十分な企業と契約してしまうリスクが生じます。制裁対象国に依存していたサプライチェーンを再構築する際には、新規取引先の技術力や法規制の遵守状況を精査し、委託契約におけるセキュリティ要件を明文化することが重要です。また、制裁回避のために第三国経由で取引を行うケースも増えていますが、複数の国や地域を跨ぐサプライチェーンは管理が複雑であり、異なる法制度や文化的背景による情報管理の違いがリスクとなります。

今後の展望

地政学リスクは今後もサイバー攻撃の大きな誘因となると考えられます。新興国の台頭やエネルギー資源争奪など、国際情勢が激変する要因は数多く存在し、サプライチェーンは常に見直しを迫られます。AIを用いたサイバー攻撃の自動化や、量子コンピュータによる暗号解読の可能性も議論されており、技術の進歩が攻撃の様相を大きく変えるでしょう。企業と政府は、国際的な連携や標準化を進めつつ、柔軟で回復力のあるサプライチェーンを構築しなければなりません。地政学的リスクに対する耐性を高めるためには、技術的な防御に加えて、外交・経済政策を踏まえた包括的なリスクマネジメントが求められます。

おわりに

地政学的リスクは、企業活動やサプライチェーンに大きな影響を及ぼす要因となっています。国家間の対立や国際情勢の変化に伴い、サイバー攻撃はますます巧妙化・広域化し、委託先や開発プロセスを含めたサプライチェーン全体が標的となります。組織は地政学的な動向に敏感になり、委託先の評価や脅威情報の共有、多層防御の実施といった対策を通じてリスクを低減する必要があります。国際社会の安定と企業活動の継続には、技術的な備えだけでなく、国際協力と情報共有の仕組みづくりが欠かせません。