日々報じられる情報セキュリティ事故の原因として、しばしば「現場のヒューマンエラー」「担当者のスキル不足」が挙げられます。しかし本当にそうでしょうか。重大事故の真の原因は、技術の不足というより“事故を前提とした設計思想の不足*にある場合がほとんどです。人はミスをする生き物であり、システムも常に完璧ではありません。本記事では、「人を責める」のではなく「仕組みで防ぐ」視点から、経営陣が取るべきセキュリティ設計思想について解説します。

「ヒューマンエラー=根本原因」という誤解

多くの企業ではインシデントが起きるとまず「誰がミスをしたか」が問われ、個人の注意不足やスキルの問題として処理されがちです。しかしこれは再発防止には不十分です。スイスチーズモデルに代表される安全思想では、事故の背景には必ず組織やシステムの弱点があると考えます。重要なのは「なぜその失敗が起き得たのか」という仕組み上の原因分析です。個人を叱責して終わらせてしまうと、その人は気を付けるかもしれませんが、システム上の穴は残ったままです。結果、また別の誰かが同じミスを繰り返す可能性があります。

例えば、担当者Aが機密ファイルを誤送信した事故を考えてみましょう。彼個人の確認ミスかもしれません。しかし、もし送信前に警告ダイアログが出る仕組みや、機密ファイルは自動暗号化され社外宛てメールに添付できない仕組みになっていれば、事故には至らなかったかもしれません。人的ミスを前提とした多層防御(スイスチーズモデルの発想)こそが、真の原因対策なのです。

参考: スイスチーズモデルでは「ミスそのものをゼロにしようとするより、ミスの影響力をゼロに近づける」ことを重視します。一人のミスが即事故につながらないよう、いくつもの防護壁(チーズのスライス)を用意し、ミスの穴が重ならない設計を目指すのです。

エラーを許容する設計思想:フェイルセーフとフールプルーフ

「人はミスをするもの」という前提でシステムを設計することが重要です。ヒューマンエラーを完全になくすことはできませんが、そのミスが重大事故に直結しない仕組みを作り込んでおけば、被害を最小限に抑えることができます。具体的な設計指針として、以下の考え方があります。

  • フェイルセーフ
    • 人が操作を誤ったりシステムが故障しても、安全側に倒れる設計。例として、電車の非常停止ボタンや自動ブレーキ装置は、運転手が意識を失っても列車を停止させる仕組みで、誤操作を前提に乗客の安全を守ります。ITシステムでも、異常を検知したら自動でアクセス遮断する、エラー時には安全なデフォルト設定に戻る、といった設計がこれに当たります。
  • フールプルーフ
    • ユーザーがミスを「しようにもできない」ようにする設計。例えばUSBコネクタは向きを間違えると差し込めない形状になっており、これも人為的ミスを物理的に防ぐ工夫です。ソフトウェアでは、入力フォームで不正な値は受け付けない、手順を間違えると次に進めないUIにする、といった方法があります。
  • フォールトトレランス
    • 部分的に故障・ミスが起きてもシステム全体は動き続けるようにする設計。例えばサーバが1台落ちても他の冗長構成サーバが引き継ぐ、管理権限を複数の人に分散して一人のミスで全権限を失わないようにする(権限分離の設計)などが該当します。

このような仕組みを事前に組み込んでおけば、仮に人がエラーを犯しても大事になりません。例えば、重要データベースへのアクセス権を一部の管理者だけに集中させていた場合、その管理者のミスや悪意で甚大な被害が出かねません。そこで権限分離を徹底し、承認ワークフローや多段階のチェックを取り入れれば、一人の判断ミスが即事故に繋がるリスクを下げられます。

「人ではなく仕組みを責めよ」:再発防止は構造的アプローチで

再発防止策を考える際の鉄則は、「個人を責めず、組織の弱点を改善する」ことです。ミスをした本人を叱責するだけでは、表面的な対処に過ぎません。重要なのは、そのミスが起きた背景にあるシステム的・組織的な原因を洗い出すことです。

例えば、社員による情報漏えい事件が発生した場合、単に当該社員を懲戒解雇して終わりにするのではなく、「なぜ漏えいが可能だったのか」を検証します。アクセス制御や監視ログ(ログ監査)の不足、機密データ管理ルールの曖昧さ、従業員教育の不備……様々な構造的問題が浮かび上がるでしょう。そこにメスを入れない限り、同じ過ちはいずれ別の形で繰り返されます。

組織として取るべきは、エラーやインシデントを“責任追及の機会”ではなく“学びの機会”と捉える姿勢です。ミス報告をあげた社員に「何が悪かったんだ!」ではなく、「報告してくれて助かった。どう直せば今後防げるか一緒に考えよう」と言える文化が理想です。そうすれば現場からも率直な情報共有が進み、より適切な対策を打つことができます。

経営層にはぜひ、「完璧な人間はいないが、失敗に強い組織にはなれる」という視点を持っていただきたいと思います。技術投資や社員教育も大切ですが、その前に“設計思想”をアップデートしましょう。どんなに注意深い人でもミスはゼロにできませんが、その結果が重大事故にならなければ致命傷にはなりません。ヒューマンエラーを前提としたエラー許容構造こそ、成熟した安全管理が目指す姿なのです。

透明性とチェックアンドバランスで「ミスが起きにくい組織」へ

最後に、経営層が推進すべき仕組みとして透明性の確保とチェックアンドバランスを挙げておきます。事故の多くは「現場任せ」「属人化」が原因で見逃されがちです。例えば「重大な変更作業も担当者の裁量に任せきり」「ログを誰も見ていない」環境では、ミスや不正が検知されずに蓄積します。これを防ぐには、定期的なログ監査複数人による承認プロセスなど、組織的な目配りが不可欠です。

また、「言いづらいことも言える文化」を醸成し、現場からリスクの兆候が上がってくる風通しを作ることも経営の責任です。報告しやすい環境があれば、小さなヒヤリハット(インシデント未満の出来事)の段階で対策を打つことができます。重大事故の裏には必ず小さな予兆があります。それを組織として拾い上げ、仕組みにフィードバックするPDCAを回し続けることで、事故発生率を着実に下げていけるでしょう。

技術的なセキュリティ対策(ファイアウォールや暗号化など)はもちろん重要ですが、それだけでは不十分です。人・プロセス・技術の三位一体で設計された安全文化こそが、真に強い企業の土台となります。現場のエラーを許容し吸収できる「しなやかなシステム」を構築すること——それが経営者に求められるセキュリティ設計思想なのです。